キャンピングカーステーションのブログです。
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地平線が続くタイ東北部を走っていると、たまに宮殿のような豪邸に出くわす。大陸独特の赤土とまばらな林、ぽつんぽつんと高床式の簡素な住居がある中にまことに奇妙なその宮殿。土地代なんてあってないようなものだろうが、白亜の建物に屋根はオレンジの瓦、タイ独特の金色の装飾品。まわりにぜんぜん調和しない近代的な家だ。「あれは誰が住んでるんだい?」と近所の食堂のお父さんに尋ねると「おー!あれかい?すごいだろ!娘が2人バンコクで稼いでるんだよ!うらやましいよ~」と鼻息が荒い。お父さんのあとからお母さんが続く「外人客相手の夜の仕事だよ。」~~ナルホドネ。この辺の農村部で一攫千金は娘を街に出すしかない。その後この手の話はあちこちで聞いた。・・・実際にそんな宮殿の住人と酒をのんだことがある。「わたしはバンコクで働いてもう10年になる。あと2~3年で故郷に帰ろうと思っているがそれまでに今の人脈をいかして弟たちにバンコクで食堂を持たせたいんだ・・・」31歳の色白でキレイな女性のとなりには3歳のかわいい娘がいた。その娘は宮殿でおじいさんとおばあさんが面倒みているらしい、「3日だけの休みをとったのよ、あしたからまたバンコクよ。街ではあなたと会いたくないわね・・・」
東北部イサーンから北の古都チェンマイ、ミャンマー国境を南下しその後バンコクを避けるように南の楽園“サムイ島”に行った。15年まえのサムイ、チャウエンビーチはまだまだ素朴な風景で海岸沿いには100B(1B=2円くらい)のバンガローがぽつぽつあるだけだった。2週間もいればいきつけの店もできるしご近所さんとも顔見知りになる、そんな中の一人にジャンパという名前の女の子がいた。ジャンパはチャウエンビーチの売り子。タイシルクの布を売ってくらしている。東北ウドンターニー出身のジャンパは歳が同じ21歳ということでお互いのことをよく話しあった。ある日海岸を散歩しているとジャンパが近寄って来てこういった「今夜、夕食を一緒にたべない?」東北出身のジャンパはとてもシャイでいつも誰かと一緒じゃないと話ができない子だった。聞けばオレが明日の昼この島を離れるのを聞いたらしい。。。思い出した!ジャンパと話しているときマッサージ屋のヒゲのおやじがニヤニヤして「おいジャンパお前こいつと結婚してイープン(日本)にいって仕送りしなさい。」とかなんとかヤジってた。ジャンパはきっと周りからやいやい言われて間に受けてしまったのだろう。“一攫千金のチャンス”彼女の目がキッとしていた。。。。夕飯を食べたらバーに誘われた。部屋まで送るというのでそれはことわった。ジャンパはなかなか帰らなかった「・・・じゃあ明日何時に出るの?」「朝7時かな・・・」そこでジャンパとは別れた。
翌日、部屋をノックしてジャンパがやってきた。乗り合いトラック、ソンテオで1時間の船着場まで見送りについてくると言う。スッキリした顔だった。最期に海をバックに写真をとって別れた。サヨナラジャンパ・・・
今になって思う。
彼女は本気で“一線をこえようとしたのか?”“一攫千金を狙ったのか?”・・・・素朴だったジャンパが?
あれから15年。ジャンパは田舎に宮殿をたてたのだろうか。。。。。BYサワディー福島
東北部イサーンから北の古都チェンマイ、ミャンマー国境を南下しその後バンコクを避けるように南の楽園“サムイ島”に行った。15年まえのサムイ、チャウエンビーチはまだまだ素朴な風景で海岸沿いには100B(1B=2円くらい)のバンガローがぽつぽつあるだけだった。2週間もいればいきつけの店もできるしご近所さんとも顔見知りになる、そんな中の一人にジャンパという名前の女の子がいた。ジャンパはチャウエンビーチの売り子。タイシルクの布を売ってくらしている。東北ウドンターニー出身のジャンパは歳が同じ21歳ということでお互いのことをよく話しあった。ある日海岸を散歩しているとジャンパが近寄って来てこういった「今夜、夕食を一緒にたべない?」東北出身のジャンパはとてもシャイでいつも誰かと一緒じゃないと話ができない子だった。聞けばオレが明日の昼この島を離れるのを聞いたらしい。。。思い出した!ジャンパと話しているときマッサージ屋のヒゲのおやじがニヤニヤして「おいジャンパお前こいつと結婚してイープン(日本)にいって仕送りしなさい。」とかなんとかヤジってた。ジャンパはきっと周りからやいやい言われて間に受けてしまったのだろう。“一攫千金のチャンス”彼女の目がキッとしていた。。。。夕飯を食べたらバーに誘われた。部屋まで送るというのでそれはことわった。ジャンパはなかなか帰らなかった「・・・じゃあ明日何時に出るの?」「朝7時かな・・・」そこでジャンパとは別れた。
翌日、部屋をノックしてジャンパがやってきた。乗り合いトラック、ソンテオで1時間の船着場まで見送りについてくると言う。スッキリした顔だった。最期に海をバックに写真をとって別れた。サヨナラジャンパ・・・
今になって思う。
彼女は本気で“一線をこえようとしたのか?”“一攫千金を狙ったのか?”・・・・素朴だったジャンパが?
あれから15年。ジャンパは田舎に宮殿をたてたのだろうか。。。。。BYサワディー福島
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