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キャンピングカーステーションのブログです。
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みなさんはコンパクト釣り竿を持っていますか? 伸ばすと2mくらい、縮めると30cmくらいの釣り竿です。 これもって旅をしていたんですけれど、すごく便利でしたよ。 ジャングル地帯の村々でこの釣り竿を出すとみんなビックリ! こんなの見たことないわけですよ! 小さい。軽い。丈夫。メイドインジャパン! 川や沼でひとり糸をたれているとすぐに人だかりができて 一匹釣れるたびに歓声があがります。 2~3時間くらいでバケツ一杯釣り上げて近所のおばちゃんに料理してもらいます。 その魚をつまみに宴会が開かれます。 みんなコンパクト釣り竿に興味津々。 「やっぱり日本人はすごいね~」となります。 わたしはまんまと夕飯にありつけるのでした。。。 そして翌日、また私は次の村で糸をたらすのです。。。
BYサワディー福島
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日野自動車タイ工場の友達に会いにサムットプラカーン県へ行ったことがあります。サムットプラカーンはバンコクから南下するチャオプラヤー川の河口の街です。昔からエビの養殖で栄え、そのほとんどが日本へ輸出されます。そんな日本びいきの街だから日野自動車も安心して工場を造ったのではないでしょうか。
街のはずれに1950年開園したタイ最初のワニ園“クロコダイルファーム”があります。なんとワニ4万匹ですよ!想像しにくいでしょうがそこらじゅうワニだらけです!ワニショーでは大きなワニの口の中に頭入れたりして(以前、世界ビックリ映像という番組でこのショーの最中に頭食べられた映像がでました・・・)すごいところでした。いろいろな動物もいてほぼ放し飼いでした。。。ということで。。。象です。。BYサワディー福島
サワディーです。毎回、毎回、ひとりバックパッカー(後半はバックすら持たず)やってたわけではありませんよ。。。!大学では第3外国語でタイ語を学んだし、由緒正しきタイ王国国立舞踊学校の学生をホームステイさせたこともあります。タイ国立舞踊学校(ナータシン)とは簡単に言えば堀越学園のようなもの、その国立版!国立の芸能人学校ですね。そこの学生が東京公演に来たときにうちにホームステイしました。主役の男の子(バンディット君17歳)が泊まりにきたのですが、彼がくる前日までは女の子(ジラフォーンちゃん18歳)がくると聞いていたのでムダに緊張したものです。彼らの帰国後、何度か手紙のやりとりをして2回ほどバンコクの学校まで行ったこともありました。芸能学校だけあって、みんな美男美女!先生も映画スターや歌手!!いい思い出ができました。彼らは今頃タイのTVや映画で活躍していることでしょう。いつかまたみんなに手紙でも出してみようかと思っています。。。。
サワディー福島
地平線が続くタイ東北部を走っていると、たまに宮殿のような豪邸に出くわす。大陸独特の赤土とまばらな林、ぽつんぽつんと高床式の簡素な住居がある中にまことに奇妙なその宮殿。土地代なんてあってないようなものだろうが、白亜の建物に屋根はオレンジの瓦、タイ独特の金色の装飾品。まわりにぜんぜん調和しない近代的な家だ。「あれは誰が住んでるんだい?」と近所の食堂のお父さんに尋ねると「おー!あれかい?すごいだろ!娘が2人バンコクで稼いでるんだよ!うらやましいよ~」と鼻息が荒い。お父さんのあとからお母さんが続く「外人客相手の夜の仕事だよ。」~~ナルホドネ。この辺の農村部で一攫千金は娘を街に出すしかない。その後この手の話はあちこちで聞いた。・・・実際にそんな宮殿の住人と酒をのんだことがある。「わたしはバンコクで働いてもう10年になる。あと2~3年で故郷に帰ろうと思っているがそれまでに今の人脈をいかして弟たちにバンコクで食堂を持たせたいんだ・・・」31歳の色白でキレイな女性のとなりには3歳のかわいい娘がいた。その娘は宮殿でおじいさんとおばあさんが面倒みているらしい、「3日だけの休みをとったのよ、あしたからまたバンコクよ。街ではあなたと会いたくないわね・・・」

東北部イサーンから北の古都チェンマイ、ミャンマー国境を南下しその後バンコクを避けるように南の楽園“サムイ島”に行った。15年まえのサムイ、チャウエンビーチはまだまだ素朴な風景で海岸沿いには100B(1B=2円くらい)のバンガローがぽつぽつあるだけだった。2週間もいればいきつけの店もできるしご近所さんとも顔見知りになる、そんな中の一人にジャンパという名前の女の子がいた。ジャンパはチャウエンビーチの売り子。タイシルクの布を売ってくらしている。東北ウドンターニー出身のジャンパは歳が同じ21歳ということでお互いのことをよく話しあった。ある日海岸を散歩しているとジャンパが近寄って来てこういった「今夜、夕食を一緒にたべない?」東北出身のジャンパはとてもシャイでいつも誰かと一緒じゃないと話ができない子だった。聞けばオレが明日の昼この島を離れるのを聞いたらしい。。。思い出した!ジャンパと話しているときマッサージ屋のヒゲのおやじがニヤニヤして「おいジャンパお前こいつと結婚してイープン(日本)にいって仕送りしなさい。」とかなんとかヤジってた。ジャンパはきっと周りからやいやい言われて間に受けてしまったのだろう。“一攫千金のチャンス”彼女の目がキッとしていた。。。。夕飯を食べたらバーに誘われた。部屋まで送るというのでそれはことわった。ジャンパはなかなか帰らなかった「・・・じゃあ明日何時に出るの?」「朝7時かな・・・」そこでジャンパとは別れた。
翌日、部屋をノックしてジャンパがやってきた。乗り合いトラック、ソンテオで1時間の船着場まで見送りについてくると言う。スッキリした顔だった。最期に海をバックに写真をとって別れた。サヨナラジャンパ・・・
今になって思う。
彼女は本気で“一線をこえようとしたのか?”“一攫千金を狙ったのか?”・・・・素朴だったジャンパが?

あれから15年。ジャンパは田舎に宮殿をたてたのだろうか。。。。。BYサワディー福島

フィリピンのマニラからアギレスへ行ったことがある。
1991年のピナツボ火山の噴火の影響が10年たっても一帯を真っ白な火山灰で埋め尽くしている。
移動はオンボロのニッサンキャラバン。隣の席では品川駅で待ち合わせた鳶のジイさんがたばこをすっている。。。ジイさんは全くの他人なのだがオレのことを気に入ってくれて金町やら松戸やらのフィリピンパブによくつれてってくれた。
そのジイさんがどうしてももう一度思い出のフィリピンに行きたいというからつれてった。10年ぶりだと隣の席ではしゃいでる。ジイさんは60歳余命6ヶ月の胃がんもちだが酒もタバコも全くやめない。オレはフィリピンには行った事がないのでジイさんを誘った。飛行機代は出すからガイドをたのんだ。10年ぶりのフィリピン。ジイさんは「ホテルはここがいいよ」「めしはここがうまい」「マネーチェンジは闇だけどここがレートいいよ」「アギレスの夜の街は危ないから一人で歩くな」「ここは日本陸軍が占領したまちだ」「この塔の下で地元の人は日本軍の土木工事を強要された」「この彼女は10年まえにもここで働いていた」「昔世話になったひとの家によっていこう」と次々にコーディネイトしてくれた。。。ジイさんは生き生きして嬉しそうだった。
ジイさんが食わせてくれた半分孵化した鳥のたまご・・・うまかった。
ジイさんが案内してくれた日本軍占領地の慰霊公園・・・おそろしかった。
ジイさんがつれてってくれたカントリーパブ・・・もう寂れてた。
ジイさんがつれてた女の子・・・小遣い目あてだよ。
ジイさんのめを盗んで夜のまちを歩いた・・・平気だったよ。
ジイさんは世話ばかりやいて心配ばかりしてたけど楽しんでいたのだろうか?
ジイさんとの短い旅が終わり、成田につくとジイさんの携帯に電話がひっきりなしに入る。「・・・だいじょうぶです、はい、明日ですね。わかってます。わかってます。」そんな具合だからジイさんとはろくに挨拶もせずに別れた。
「また会おう、生きていてくれ。ろくでなしの男たち身を持ち崩してしまった」
ジイさんとはそれきり連絡はない。

ジイさんはあの街で2000万使ったことがあるらしい。バブルのころだろう。こんな日本人がたくさんいたのだろう。最期に自分が輝いていたころの夢を見たかったのか・・・?サヨナラ。ジイさん
BYサワディー福島
みなさん!究極の食材はなんですか?
わたしがおじゃましたタイ・カンボジア・ラオス国境地帯の食事は強烈でした。
みなさんにベスト3をご紹介したいと思います。


ベスト3。葉っぱ!タイ東北部イサーンではとてもポピュラーな食材。道端に生えている葉っぱを食べる。これ朝ごはん。毎朝、牛の散歩のときに2mくらいの長い棒をかついで1時間くらい森の中をブラブラするんだけど、その辺の葉っぱをムシャムシャ・・・木の上のなんだかわからん木の実を2m棒でつついて落としたのをムシャムシャ・・・はい!帰宅時にはお腹いっぱい。。。エコだね~

ベスト2。虫!!
ラオス系のみなさんのおやつ&つまみ。電気がないので夜になると光に虫が寄ってきます。ランプか懐中電灯を30分くらいつける→集まる虫を網でとる→熱したフライパンで虫を炒る→皿にもる。
この場合の疑問?食べられるのと食べられないのがあるのでは?と思いましたが。地元の人はかまわず食べてました。なかでもコガネムシ(緑色に輝く)は一番人気でした。「これを食べるからわれわれラオス人はタイのムエタイでもチャンピオンになれるんだ」と熱く語ってました。わたしはカナブンやカブトは食べましたが、カマキリは食べられませんでした。。。

ベスト1。土!!!
「うちの方では土たべるんだよ」と聞いたときは「うそでしょ~日本人だからってからかってるんでしょ~」と思いました。
みんなうまそうに食べてました。。。土!  ねずみ色した粘土のような土でした。あまりうまくありませんでした。機会があっても食べないでしょう。
道端の草を食べ、光にあつまる虫を食べ、そのへんにある粘土を食べる。こんな究極のエコロジー食事を2週間体験しました。日本に生まれてよかったと思いました。
BYサワディー福島
東南アジア最後の秘境“ラオス”をご存知ですか?
最近のアジアブームでタイ・カンボジア・ベトナム・マレーシアは有名ですね。
中国とタイの間の国“ラオス”山に囲まれ海がないためメコン川が流通のメインです。
その昔、世界大戦時はフランス軍の侵入をメコン川の急流が防いだほどの激流の大河です。
まさに世界の秘境です!
2007年から日本人もビザなしでの15日まで滞在が認められました。
そんな良くわからないラオスに私、行ったことあります。15年前!
タイのロイエットの隣、ムクダーハン県から車で橋を渡ってあっという間にラオスでした。
「ラオスに行こう~」と言い出したヨンユさん(ロイエット県在住のバンコク出稼ぎ人)に「日本人はビザがないと入国できない、私はラオスビザは持っていない」と説明したところ、「大丈夫だ!タイ人は日帰りで行き来できる!お前はタイ人のふりしてニコニコしていろ。」とのこと。。。。
はい。行ってきました。ラオス。。。。
ニコニコして、トラックの荷台にヨンユさん一家に混ざって。。。
おお、母なるメコン川~そしてメコン川の民よ
あなたたちはなんておおらかなのでしょう~~~
BYサワディー福島
今、東松山は大雨です。
スコールです。

タイのイサーン(東北)でスコールにあうとラッキーです。
スコールはいつもシャワー。
だって、水道ないんだもん。
いつも風呂代わりに行く川は大陸特有の濁色なんだもん。
頭が砂だらけになる。
たまに貴重な、かめ(タイ農村部は雨が降らないのでスコールの雨水をためる大きな甕を2~3個庭においてある)の水で水浴びするけど
貴重な水は豪快には使えない。おけに一杯だけ。
だから、暗雲立ち込めてくるとみんな石鹸片手に庭に飛び出す!
パンツ一丁で豪快に洗う!洗う!!
洗濯もしちゃう!
牛も洗っちゃう!
まさに恵みの雨なのです。。。
そしてスコールは3つある甕を満タンにします。
3つの甕は高さが違っていてそれぞれの上澄みが最後の小さい甕に溜まります。
1つ目の甕にはボウフラがいます。
2つ目の甕にはメダカがいます。
3つ目の甕の水は飲み水です。
イサーンに来て2週間くらいたったころ、ど~しても冷えたコーラが飲みたくなりました。村には冷蔵庫がないので常温(30度)の甕水でくらしていましたがど~しても冷たいコーラが飲みたくなっちゃったのです。
村長の長男のヨンユさんに村で唯一のバイク(スーパーカブ)を借りて(バーンラオカム)隣村まで30分。駄菓子やで冷蔵庫に入ったつめたーいコーラを買いました。(7B)
外気40度⇒駄菓子や内35度⇒冷蔵庫25度・・・・つめたくないけど幸せでした!
駄菓子やのおばちゃん家族と盛り上がって、酒盛り始まっちゃって夜中になったころ、ヨンユさんが歩いて探しにきてくれたなあ~ヨンユさん目が合った瞬間涙目だったな~タイランド・ロイエット県・バーンフォアノン村ヨンユさん。心配かけてゴメンネ。。。

BYサワディー福島
みなさんはタイをご存知でしょうか?

東南アジアの微笑みの国タイを・・・



タイには季節が3つあります。

① アツイ(8~11月・30度くらい)
② スゴクアツイ(4~7月・35度くらい)
③ トッテモアツイ(12~3月・40度以上もあり)
(ちなみにわたしは2月のバンコク郊外にて47度を経験してます)

タイ人は5食くらい食べます。(暑すぎて体力を消耗するからです)
タイ人は昼間は寝ます。(暑すぎて仕事できません)
タイ人は酒を飲むと歌って踊ります。(東北人はモラームという音楽が好きです)
タイ人はビールに氷を入れます。(すぐホットになるからです)
タイ人は正月に水をぶっ掛けあいます。(信号待ち中にクルマの扉をあけてぶっ掛けられました)
タイ人のトイレは水洗です。(左手ですけど)
タイ人のバス運転手は渋滞するとキレて客を降ろして帰ります。(あきらめがはやい)
タイ人の子供にイイコイイコをしてはいけません。(宗教上頭部に神が宿っています)
タイ寺院に行くときは半袖短パンは追い出されます。(レンタル料金のかわりにお布施)
タイ人がバンコクで2人で「コンニチハ、ニホンジン?」ときたら。(高い宝石やツアーもしくは追いはぎ)
タイ人警官に検問受けたら。(500Bくらい渡さないと何らかの罪で連行されます)
タイのバンコク中央駅フォアランポーン駅のベンチで2泊するとブツブツがいっぱいできました。
タイ南部の街スラータニーの駅前食堂でチンピラ連中にたかられましたが「カラテアチョー!」とにらんだら喜んでご馳走してくれました。
スラータニーからサムイ島行きのバスが時間より早く来たので荷物だけ乗せてもらってすぐそばの食堂で朝のおかゆ定食を頼んだら、時間まえなのにバスが出発した!お店のひとが親切でおかゆをビニールにいれてくれた(タイはジュースでもごはんでも野菜やフルーツでもなんでもビニールにいれる)なんとかおかゆ片手に走って呼び止めバスに飛び乗ったはいいが・・・透明ビニール袋におかゆ。それを満員バスの中でかかえている図・・・まわりの目が冷ややかでした。(当然気持ち悪くてゲーしたと思われてる)
タイに行くときはとりあえず2万円もって行ってました。(往復航空券はHISで購入済み)
タイでお金がなくなるとバイトしました。
野宿しました→ヒッチハイクしました→少数民族の村で少数民族のふりして観光記念写真にうつりました→村長の娘?らしき人とお見合いさせられました→小屋で二人きりにされました→逃げました→ピピ島の警察の留置所に泊めてもらいました→みんなと一緒にご飯食べさせてもらいました→マレーシア国境モスリム寺院の礼拝中に半袖短パン酔っ払って入っていって怒られました→高熱で2回死にそうになりました→2回事故りました→1回警官にたかられました・・・・2年間で14回タイに入国しました。。。。。
これらはすべて東京日野市の日野自動車タイ人寮に
「トモダチニナッテクダサイ」と一升瓶片手に潜入した日からはじまったのでした!
BYサワディ-福島


カウンター(2007年6月3日設置)
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